1999.12

祈り


拠り代(よりしろ)の身をつくるために人は行
(ぎょう)を行なってきた。
自己鍛錬、精神修養。
神と一体となるための手段である。
人は神を尊び敬うあまり、自己を踏み外し神
になろうとする。
自己を見失った拠り代はただのオカルトであ
る。なぜ人として生かされているのかを常に
戒めおき自己の中に探求すれば自ずと開け
るものである。開いてなおかつ超自己に到達
する場合のみ行(ぎょう)を必要とする。
それは俗人間界を捨てる事につながる。(普
通の人として生きていくのを捨てる事)その覚
悟ができぬものは自己の探求のみをすべし。
それだけでも人として立派にいきていける。

自分がどの神様の枝分かれか(大元は一つ)
それを知り、その御働きに添った生き方ができ
るように日々の祈りを捧げよ。